泣きそうになる程、身体が思うように動いてくれない。

床にへたり込んで、明日からどうやってこの鬱状態と付き合っていこうか考えあぐねている。


しかしこの状態でもブログに文章は打てる。
文章で自分の状態を記録しておくことは悪いことではない。

4月頭の自分のブログと比較したら躁転から落ち込んでいる事が如実に分かるはずである。

次から気を付けなければいけない。


大学はまだしも、仕事だけは明日行かなければならない。

本来の目標は仕事より大学を卒業する事であるが、仕事にはアルバイトだとしても責任が付きまとい、また解雇だってあり得るのだ。

好きなだけ休んでいい仕事など存在しない。

そうなってくると責任が重い方の仕事が優先されざる得ないのが悔しい。

私にとっては大学の方が遥かに大事だ。

しかし甘えた事も言ってられない。



文章を書くのは好きである。

しかし私は文章をきちんと学んだわけではない。

頭に勝手に浮かんでくる文章を好き勝手書き散らしているだけで、読み手はすごく読みづらいのは必至である。

話があちこちに飛び、着地点が明後日の方向である事もままある。


文章を引き伸ばすだけならいくらでも出来るが、質を上げようとする行為は難しい。

一度大学の先生に文章を見てもらったら、「何言ってるかわからない」と一蹴されてしまった。

予備校の先生も似通った反応だった。



だから文章を書くのは好きでも、才能はないのだろう。

詩的な表現を加えようとしても、ありきたりな表現しか出来ない。


私の母親は全てにおいて私より才能がある。

勉学も然り、文章表現においても美しかった。


「ALL YEAR AROUND FALLING IN LOVE」というL'Arc〜en〜Cielの曲名を、母親は「季節を巡って恋をしよう」と訳した。


もちろん「季節」という単語は入っていないので、試験であれば点数にはならない。

そして製作者の意図を汲んでいるかどうかも不明なので、正しい訳とは言い難いが、語感も良く美しい訳だと思った。


わたしは全ての芸術的センスがないので羨ましい。

絵も描けないし歌も下手である。


好き勝手書けるのは文章である。

しかし読み手に何も伝わらない文章しか書けない。


それでも、こうして好き勝手文章を書くのは自分にとっては気が紛れる行為だから好きだ。



明日の朝は喫茶店でモーニングをすることにして、朝に楽しみを用意する、などといった行為は、鬱の前には為す術もない。

そんな事を楽しみに身体が動く状態なら仕事など問題なく出来るのだ。

時間が恐ろしい速さで過ぎていく。

就寝時刻が迫っている。

就寝時刻が恐ろしいのだ。


もう薬を飲んで無理やり寝てしまおうか。

今薬を飲んで眠れば9時間は眠れるはずだ。

精神状態はともかく、疲労とは無縁になるはずだ。

身体を動かしにくい理由を一つ潰せる。


明日仕事に行ければまた普段のサイクルに戻れるはずだ。

勉強のペースは落ちるかもしれない。

だけど一歩も動けなくなるよりはよっぽどいい。