2022年06月30日 1日が終わった 疲れた。 しかし明日は木曜日、明日さえ乗り切れば金曜日はアルバイトは休みだ。 とても、とても職場には行きづらかったが、何食わぬ顔で出勤した。 心配されたが、こういう時に年齢を言い訳に出来るのは有難い。 「大学は週6だから体力が追いつかなくて」と誤魔化しておいた。 欠勤がとても多いので所長の心証は最悪であろう。 今後欠勤を減らしていかねばならないのが辛い。 精神疾患である事を隠して面接を受けたのだから、隠し通さねばならない。 精神疾患に対し、偏見が減っているのは事実だが、あくまで個人間においてだろう。 個人対企業では、偏見はなくとも雇用率は下がるだろう。 精神疾患患者はとても不安定だ。 私自身もこうして欠勤が多く、また自分が店長として雇用していた時も、精神疾患を抱えている人間はまずシフトが安定しなかった。 歓迎されはしないだろう。 そもそも私は知られたくない。 精神疾患に対して偏見が減っている事は良い傾向だと思うが、同時にステータスとする輩が出てくる。 そういう輩と一緒にされるのが心底嫌なのだ。 また一部のそういう連中のせいで、精神疾患が誤解されている部分もある。 病状も薬の量も競うものではない。 私が1番嫌うタイプは、診察を受けていないのにネットの診断で自分が精神疾患を抱えていると主張するタイプである。 精神疾患は皆んなに優しくしてもらうための免罪符ではない。 それを盾に気遣いを搾取するなら、頼むからさっさと病院に行って、望む診断を手に入れて欲しいと思う。 社会的支援も受ければ良い。 但し、長期的に見るとデメリットの方が多い。 短期的であればみんなに優しくしてもらえるだろうし、各種手当や入院で保険もおりるかもしれない。 ただ健康という信用と引き換えに金銭や一時の優しさを得ているだけだ。 長いこと精神疾患であれば、周りも「あぁまたか」程度の認識になる。 支援も生涯ずっともらえるわけではない。 それでもいいのだろうから、さっさと医者に行くべきである。 実際どうなのか医者しか判断できない。 癌であるかどうか、自己判断不可能だ。 それと同じである。 精神疾患もさっさと医者に診てもらって望む病状を手に入れてくれと思う。 うるさいから。 「多分そうだけど行かない」ということまでステータスにする輩もいるもんだから、もう破茶滅茶である。 何がしたいのかわからないが、要するに優しくして欲しいんだろう。 そういう一部の輩のせいで苦手になってしまった。 自分が精神疾患である事が恥ずべき事になってしまった。 仕方ないから誤魔化し誤魔化し生きていくけれど。 文章を書くのはストレス発散になるから良いな。 お読みいただきありがとうございます。 ランキングに参加しております。 クリックしていただけたら嬉しいです。 またのお越しをお待ちしております。 にほんブログ村 にほんブログ村
2022年06月29日 自分すら支えられない 私は別に病み散らかしているのではない。 ただ単に、自分のことを文章なり音声なりで、話すのが好きなのだ。 自分の日記では意味がない。 人に聴いてもらう事が好きだからだ。 だけど人に話すという事は、相手の時間を頂戴する事になる。 相手の時間と引き換えにする程価値のある話は出来ない。 だからこうして、ブログや音声配信という手法で相手に取捨選択してもらえる手段を取っている。 TwitterやインスタなどのTLに勝手に流れてしまうタイプのSNSは好ましくない。 見たくなくても見えてしまう可能性がある。 そうした所にこういった内容を載せてしまうと、不必要な誤解を招くからだ。 結構な頻度で更新してしまうと見てる側もウンザリするだろう。 だからわざわざ見たり聴いたりしないとならない媒体を選んでいる。 一時期はライブ配信にも凝っていたが、相手の時間を頂戴する事になるので頻度は下げた。 そんなに価値のある時間は提供出来ない。 もちろんバッサリ切り捨てられる人は飽きたら抜けていくだろうが、中には空気を読んで最後まで付き合ってくれる人もいるだろうと思ったからだ。 そして人に話すのは楽しいからこちらも歯止めを効かせるのが難しい。 このブログは直接関わりのある人には教えていない。 一時期、Twitterと連携させていた時期もあるので、Twitterで繋がっていた人は知っている可能性もあるが、そもそもTwitterを直接関わりのある人は誰も知らない。 だからこそ好き勝手書ける。 何度も何度も書いているが、心配してほしいという思いが根底にあるわけではない。 偶発的に知った人もいるかもしれないが、ごくごく僅かでブログの話をする事はない。 なんならこのブログは辛辣なコメントを寄せられる事もあるので、投稿する時に躊躇する事さえある。 私は今とても疲れている。 普通がよく分からない。 この疲労感や、何もやる気が起きない感覚は、他人と共有出来ないからだ。 自分の中で、自分のことをこなせる時とこなせない時の違いは分かる。 だけどどれくらいなら疲れても大丈夫なのか分からない。 全てがダメになる事が1番怖い。 入院を経験した人間がこぞって口にする「私はおかしくない」という台詞があった。 私がその台詞を心の底から理解する日が来るなんて思わなかったが、入院を通知された時は必死に医師に訴えた。 「私はそこまでおかしくない」と。 少し疲れているかもしれないけど、入院が必要なほどではないと。 入院は心はとても楽だったが、社会生活をまともに送っていると困る。 2ヶ月社会生活を強制的にシャットダウンだ。 どういうことかというと、今もし入院になったら、大学の単位など全て落とす。 スマホをどのくらいの期間取り上げられるか分からないが、無論仕事も無断欠勤になり解雇だろう。 入院の事情を説明すれば解雇は免れるかもしれないが、真実を告げたら会社も扱いに困るだろう。 かといって無断欠勤をして診断書の一つも提出しないわけにはいかない。 事実を話さざる得ない。 病院から出ることなど出来ないし、外部への連絡だって出来ない。 入院なんて気楽でいいと思う人もいるかもしれないが、するや否やあっという間に社会生活から爪弾きにされる。 だから疲労にとても敏感で、そうなると何も出来なくなってくる。 ましてや私が挑戦しようとしていることなど、疲労せずに成し遂げるなんて不可能だ。 他人の感覚を知りたい。 みんなどれくらいの感覚で生きているのか知りたい。 少し目を離しただけで時間が恐ろしいくらい過ぎている。 何も出来ないまま2日が過ぎた。 私も休日勉強に時間を充てたい。 7時間くらい寝て、朝から大学の図書館に行って夕方まで勉強して買い物して帰りたい。 でも現実は2日前に家に帰ってきた状態のまま動けないでいる。 人と比べなくてもいいのに。 いきなり難しい勉強なんて出来るわけない。 努力でカバーし切れない能力値の差もある。 本来の目的である大学卒業を目指せるスケジュールにしよう。 早く真っ当になりたくて正社員登用まで考えていた。 この間までニートだったのに無理だろう。 アルバイトと両立できれば御の字だ。 お読みいただきありがとうございます。 ランキングに参加しております。 クリックしていただけたら嬉しいです。 またのお越しをお待ちしております。 にほんブログ村 にほんブログ村